新卒ポーカープレイヤーの日記

意識高い大学生だったのになんとなく新卒捨ててポーカーしてる男の話

新卒ポーカープレイヤーが山籠りして機械学習エンジニアになった話

 2019年8月某日AM5:30、カビ臭い布団で目を覚ます。今日も今日とて身体中が痒い。ここは、平均標高1200mの某町のさらに外れにある、季節労働者用の寮。押し入れ下段の布団は腐っている。水道管は朽ちており、顔を洗うのも憚れるような茶色い水しか出てこない。昨晩試しに買ったアメスピの新作は不味い。ああ、早く部屋を出なければ、朝飯の時間に間に合わない。
起きたままの格好で山道を10分ほど下り、作業員の待機室に着く。いつもは各々が無言で具の少ない味噌汁を啜っているのだが、今日は何やら騒然としている。どうやら昨晩、調理場のおじさんが料理長に泣きながら土下座し、「故郷(クニ)へ帰らせて頂きやす!」と言い放ち、寮から脱走したらしい。面白すぎる。しかし、そんな空気を一掃するように作業開始のベルは鳴る。
ペアで働く同僚は、40歳を過ぎている。しかし、その所作に落ち着きはなく、話していると少年を相手にしているような違和感を覚えることがある。彼は昼休憩中、いつも空の戸棚に向かって鎮座し、自身の大腿部に軽く握った拳を擦り付け、虚空を見つめている。矯正器具を装着しているような、真っ直ぐに伸びた彼の背筋を見るに、過去に刑務作業にでも従事していたのだろうか。そんなことを考えながら、荷物用エレベータに物を詰め込む———。
作業着を畳み、タイムカードを切る。標高のせいか、心持ちのせいか、なんとなく東京よりも大きく輝く月が夜道を照らす帰路につく。「ここに空気清浄機を置いたら、暇を持て余して地面の土埃を吐いたり吸ったりし始めるんじゃないか」などと考えてしまうような、夜の冷たく澄んだ空気に肌を刺され、足早に山道を登る。
 
   
 自分は、この季節労働に来るまで約一年半、新卒でポーカープレイヤーとして生きていた。初めの一年間はオーストラリアで南国の風に当てられながら週5ぐらいでカジノに通い、帰国後の半年間はオートロック・浴室乾燥機付きの新築賃貸マンションでぬくぬくとオンラインポーカーをして生計を立てていた。
初めのうちは、来週の家賃が払えるか払えないかレベルのギリギリな生活をしていたものの、後半になってからは、季節労働よりは給料が出ていたし、綺麗で快適な部屋に住んでいたし、気が向いた時にいつでも少し手の込んだ料理をしたり、昼寝をしたり、ゲーム実況を見たり、漫画を読んだり出来ていた。
一見すると夢のような生活だ。しかし、自分にとってこの生活は地獄そのものだった。
読者の大半は「どこが地獄なんだ?なんでそんな生活を手放したんだ?」と思っていることだろう。オンラインポーカーが法的に不安定であること、税務処理が煩わしく割が悪いこと、社会的意義が全く感じられないこと...理由を挙げればキリが無いが、その中でも一番大きな理由は、ポーカーを楽しめなくなったことだった。
自分は、曲がりなりにも一年半、生活を賭けてポーカーに向き合い続けた。その甲斐あって、BLEACHでいうと初期の一角ぐらいには強くなっており、その辺のプレイヤーならボコボコに出来るようになっていた。しかし、なまじ初期の一角になってしまった自分は、自分が目標としていたプレイヤー達との差の大きさを自覚出来るようにもなってしまっていたのだ。そして日に日に、彼らとの地力、そして何より熱量の差がハッキリと感じられるようになり、上に登りつめる気概はみるみる薄まっていった。
停滞と衰退がほぼ同義であるポーカーという高度知的ゲームにおいて、このモチベーションの低下は致命的だった。事実、プロとして生計を立てているプレイヤーの中でもとりわけ活躍している方々は、決まって長年に渡って異常な熱量でポーカーに向き合い続けており、またそれを生業とすることに“納得”している
一方で自分はというと、早くもその花道からは外れ、さらに最悪なことに、結構しっかりめなギャンブル中毒予備軍にもなっていた。ほとんど座学もしないくせに、「全然楽しくない、もう辞めたい」と思っているくせに、来る日も来る日も惰性でポーカーをしてしまっていたのだ。彼女と温泉旅行にいったときですら、当日早朝までポーカーをし、行きのバスでも彼女が寝た隙を見てポーカーをし、翌朝も更衣室で露天風呂の湯気を見ながらポーカーをしていた。
いつだったか、宇垣美里が「私には私の地獄がある。」みたいなことを言っていた。正直、しゃらくせー女だなと思った。しかしまあ、地獄は主観に生じ、主観に評されるものであり、他者の地獄は測りようがない。それは紛れもない事実であり、自分だって、自分の賭博生活を地獄と称したら、周囲から「しゃらくせー男だな」と思われたことだろう。だから、当時は内なるドロドロを吐露しないよう、敢えてキラキラに振る舞っていた。俺の中のマイメロも、そうした方がいいと言っていた。
 
 
 終わりは、急にやってきた。今思えば、潜在的にあの生殺しのような生活を辞めるきっかけを求めていたのだろうか。梅雨が明けた頃から、自暴自棄なプレイが増え、しまいには、普段の倍のレートで滅茶苦茶なプレイをして2日で50万円を溶かしてしまった。そして「こんな感情的なプレイをしてしまう自分がこの先やっていけるわけがない。」という、高い代金を払って作り上げたとも言える理由をトドメに、ついに自分はポーカープレイヤー引退を決意した。
そこからは早かった。手始めに、自分はAmazon Kindleにあった参考書、ポーカー用のTwitterアカウント、はてなの過去記事、残高に少しマネーが入っていたオンラインカジノのアカウントを削除した。そして、今までのこと、これからのことを考え、悩みに悩み抜いた結果、自分がたどり着いた結果は"感謝"であった。自分自身を育ててくれた資本主義社会への限りなく大きな恩。それを自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが 季節労働だった。
気を整え 拝み 祈り 働く。一連の動作をこなす中で 当初は 脳内で相手想定レンジのコンボ数を概算する訓練をしてしまうこともあった。働き終われば 自己啓発して寝る。起きてはまた働き 自己啓発を繰り返すだけの日々。一ヶ月が過ぎた頃 異変に気付く。日々の労働に 確かな充足感を得ている。そして 季節労働最終日にして 完全に羽化する。一日の中でポーカーのことを考える時間はなくなり 代わりに 祈る時間が増えた———。
「意識が変われば、行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という言葉を聞いたことがあるだろう。あれを参考に、意識から自分を変えようとしたとて、大抵の人間はまあ上手くいかない。コレは持論なのだが、自分を変えたい時は、まず初めに元の自分を徹底的に断つような環境を作り出す必要がある。
かくして自分は、ポーカーのポの字の「゜」もない山奥で、精神的な社会復帰を遂げた。そして山を降りた時、転職活動のスピードは音速を超え、数日のプログラミング歴(下山と同時に始めた)と持ち前の愛嬌と根拠のない自信だけで計4つの内定をいただき、その中でも異彩を放っていたAIベンチャーの内定を承諾した。下山からわずか10日間での出来事だった。
 
 それからは、もうとにかく頑張った。まず内定承諾から入社まで何故か2ヶ月間の合間があったのだが、自分はこれを「どうせ未経験で使い物にならないんだから、せめてこの2ヶ月で勉強しとけや」というメッセージと受け取り、日に30時間の鍛錬という矛盾のみを条件に成り立つ、気狂いプログラミングを実行した。
学習サービス(Progate, PyQ)で基礎を網羅し、Flaskでじゃんけん、おみくじ、ハングドマン、丸罰ゲームなどのゴミ、そしてDjangoで二郎各店の情報掲載+感想ポエムランキング機能付きのオリジナルSNSを自作し、その後もCPU・対人戦を選べるカイジのワンポーカーや民族楽器専用ECレンタルサイトを作ったり、自己紹介用SPAをS3静的ホスティングしてCloudFront + Route53 + ACMでSSLドメインをつけてみたり、寝食を忘れてひたすらに愛すべきゴミを量産し続けた。
※余談だが、途中で墨田病院というプログラミングスクールにも通った。いくつかコースを選択できたが、自分が参加したコースは、S●1440という、薬を飲んで看護師に血とウンコを提出しながら2週間プログラミングを勉強すると、退所時に30万円の報酬を貰えるという素晴らしい内容だった。駆け出しプログラマの皆さんには、ぜひオススメしたい。
 
 その流れのままに、実務も始まった。初めての案件として課せられたのは、新規自社サービス候補のバックエンドシステムの開発だった。(OpenCVによる学習データの前処理&coco形式データセット作成→Mask R-CNNによる独自の物体検出モデル作成→そのモデルをシステムに組み込んでアレコレするもの。)初めは「おいおいマジかよ」と思ったが、手をつけてみたらこれがオモシレーことオモシレーこと、わからないことだらけだったが、気が付けば気合いだけでやり遂げていた。
その気合いを社長に買われたのか、その後も次々に実力以上の案件を任せてもらえた。最小限のアーキテクチャでメモリ使用量に気を配りながらBERTを転移学習してDocker使ったシステムに載っけたり、S3, Lambda, Athena, Stepfunctions等を連携させたサーバレスのデータ分析アプリを作ったり、あとは自社webサイトのSEO対策としてサイト構成の改善(php)や記事ライティングにも着手して問い合わせを発生させたりもした。
一方で、趣味でも超簡単なレコメンドAIのアプリを作ったり、SeleniumでDeepL無料版を使い倒す乞食翻訳機を作ったり、switch定価入荷即メール通知プログラムを作ろうとしたり、Atcoder(ABC)のB,C過去問を半分ぐらい埋めたり、高校数学を復習したり、CSの基礎本を何冊か読んだり、couseraの機械学習コースを履修したり、統計検定2級とAWS SAAを取得をしたり、udemy15個ぐらいやったりと、純粋に物作りを楽しみながら、業務時間内外問わず勉強し続けた。
最近もその勢いは止まることなく、必死に勉強しながらReact(Typescript)とDRFを連携させており、他にも新規案件の要件定義/技術検証に携わったり社内Qiitaに技術投稿しまくったりしている。たぶんシンプルに躁病なのだが、おかげで期末の人事評価も最高値を頂くことができた。あとkaggleコンペにもデビューした。「締切間近のRiiidを放置してこんな記事書いてる時点でお察し」というツッコミはやめてほしい。その術は俺に効く。
 
 
 あのポーカー生活は、いま思い返すと現実味がない。
初月の破産をかけたピュアブラフ。番号で呼ばれたイチゴ農場。奇跡の100万勝ち。兄の結婚式を休んで30万溶かした日の味のない夕飯。賭博客船での精神崩壊からの慰安カンガルーツアー。バカラ中毒による彼女とのギスギス。勝てるようになってきた時の手応え。帰国後の、朝も夜もクソない生活リズム。感情の乗らない指先。湿気と希死念慮のまとわりつく梅雨。そして最悪の引退。何が出てくるかわからないモヤの中を一気に駆け抜けたような、そんな一年半だった。
自分がポーカーを引退したあと、ポーカー関連の人間が逮捕されただとか、連絡がつかなくなったとか、そんな話がやたらと耳に入った。もしかすると自分も、あのまま惰性でポーカーを続けていたら、いずれ限界に突き当たり、新しいことを始める気力もなく、そんな結末を迎えていたのかもしれない。
 そう思うと、それらの出来事をどうも他人事とは思えないし、むしろ自分の人生はそちらが正着ルートで、いまは後発的に生まれたIFルート上にいるのではないかという気持ちになる。それも、智代アフター~It's a worderfull life~みたいな、サイコーのIFルートだ。
 
 自分の人生はこれまで、「人がやれないことは難しいから、人がやらないことをやる」というスタンスで、実力よりも突飛さでウケと名声を狙う、そんな何かと恥の多い人生を送ってきていた。そんなものだから、自分が今まで人に「スゴい」と言われるときは一芸を持ったサルを持て囃すような意味合いがあったし、自分は、それに対するモヤモヤを黙認した上で「スゴいっぽい」ことをし続けてきた。
だから、だからいま、自分が真っ当に雇用されて、真っ当に働いて、真っ当に実力をつけ、真っ当に人の役に立って、真っ当に評価を受けているこの現状は文字通り有難いと思うし、毎日毎日「わだすが、こんなに幸せで良いんでしょうか」という気持ちでいる。なんなら週8ペースで「コレは脳味噌にプラグを繋がれて映し出されている夢なんじゃないか」と疑っている。まあ、もうこの際、夢だとしても一向に構わないのだが。もとより自分はインナーワールドを重視するタイプだ。ダライラマのアルバムだって聴いてる。